はじめまして!
心理カウンセラーの
「らいおんハートおじさん」です。
私は「人間関係・性格改善専門」にサポートさせて頂いています。
具体的には「不安障害」「トラウマ」「人間関係」「アダルトチルドレン」「夫婦関係」「子育て(不登校)」でお悩みの方に寄り添ったカウンセリングを提供させて頂いております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
カウンセリングが「うまくいくかどうか」は、あなたとカウンセラーの相性がとても大切になってきます。
私の人生をプロフィールにまとめてみましたので、もしよかったら覗いてみてくださいね。
アイスが買えずに惨めでたまらなかった夏休み
私は、4人兄弟(姉、私、妹、弟)の長男として兵庫県の下町で生まれました。
父親は鉄工所に勤務、母親は専業主婦(当時の父親の考えは、男性は仕事、女性は家庭を守るもの)という貧しい環境で育ってきました。
幼少期は陽気で元気でしたが、小学校へ上がった頃(子供社会の第一歩目)から一歩外へ出ると、とにかく人の目が気になり、内気でしゃべれなくなっていました。(内弁慶)
その原因として考えられるのは、当時の家庭の貧しさ故の出来事でした。
持ち物や着るものなどが、姉のお下がりだったりすることもよくあり「男のくせに赤色なんて」とバカにされたりしました。
夏休みに友だちと公園で遊んでいて「暑いからアイスでも食べようぜ」となっても、お小遣いをもっていない私は店の外でじっと待っていました。
出てきた友だちから「ひと口あげるわ」と言われて、かじらせてもらっている自分がみじめでたまらなかった。
そのシーンがトラウマの様にずっと、こころの奥底に焼き付いていました。
欲しいものがあっても親にも言えずに我慢していた小学校時代
友だちが自動販売機でジュースを買っていても「俺は喉か湧いてないから」と言って我慢していたり、自分の自転車もなかったので、情けない気持ちを押し殺して、いつも自分だけ友だちの後ろに乗せてもらうか、走って付いて行ってました。
その頃から「うちは貧乏なんだ」「人とは違うんだ」「はずかしい」という劣等感が徐々に芽生えてきた気がします。
本当は、「お小遣いも欲しかった。」「青色のくつも履きたかった。」「自転車で友だちと走りたかった。」
でも、私たち4人兄弟を一生懸命に育ててくれている両親にそんなことは言えず、ずっと我慢していました。
女性に劣等感を感じ、話すことができなくなった思春期
「劣等感」や「みじめで恥ずかしい」という思いは徐々にエスカレートし、思春期を迎えた中学生になると人の目が気になり、特に女性の前だと目を見て話せなくなり、女の子の方が話の内容や行動が自分よりはるかに大人に見えて、その頃から女性に対しても劣等感や苦手意識を持つようになりました。
「男性は女性を守るものなんだ」との父親から教えられた価値観と今の自分の姿とのギャップで、「なんて自分は情けない男なんだ」と自己嫌悪に陥り、だんだん女性と話すどころか、顔もまともに見ることすらできなくなっていき、学校に行くこと自体が憂鬱になっていました。
そんな自分のモジモジした姿に更に「コンプレックス」を感じ続けた結果、進学はあえて男子ばかりの工業高校へ進みました。
自分の意見が言えない「はずかしい」「苦しい」「逃げたい」20代
高校を卒業して、社会に出ると今まで自分の苦手意識から逃げてきたツケが回ってきました。
当たり前のように男女が普通に打ち合わせや会議に出席して、お互いが意見を出し合っている環境に物怖じして「はずかしい」「苦しい」「逃げたい」「自分の意見を言えない」などの「嫌な感情」が湧きおこり、会議などで人間関係の薄い人と一緒に何かをするということにプレッシャーを感じるようになっていました。
また、同僚と一緒に外食した時のこと。メニューを決める際に、自分が食べたいものが明確にあるのに、それを言った後の周りの反応が気になり、誰かが先に注文をするのを待って「同じで…。」と言ってしまうことも・・・。
電話をする時も、他の人がいると自分の対応に自信がなくて、会話を聞かれるのが恥ずかしかったので、人がいないタイミングでかけていました。
「できない奴」と思われたくない一心で無理をしていた若手時代
内気で頼りない自分を人に知られたくなくて、無理して明るく振舞ったり、強気な態度をとってみたりもしていました。
また劣等感をカバーするために職場では「自分は人より仕事ができないのだから人の何倍も努力しなければいけない」とか「できない奴と思われたくない」との思いが生まれてきた。
休憩はもちろんのこと、昼休みでも昼食を取らずにずっと現場で作業を続けることで、他人からの評価を上げようともしていました。
そんな事を何年も続けていると、こころも体もボロボロになり、どんどん悪循環に入っていきました。
自分は幼い頃からずっと「変わりたい」と思っていた事に気づいた
私はいつしか本来の自分を見失って、人の目を気にして「自分は人からどう思われているのか?」「ダメな奴だなと思われてないか?」「こんな言い方をすると相手は傷つくのではないか?」などと考えてしまう様になっていました。
常にオドオドし、モジモジした自分が大嫌いで、その性格がコンプレックスになり、ますます生きづらさを感じるようになっていました。
思えば私は幼い頃からずっと、こんな自分から「変わりたい」と思っていました。
初めて人から頼られる喜びを感じた20代前半、そして結婚
そんな中、会社の同期の女性から仕事のことや人間関係の相談を受けることがありました。
すると、今まで人付き合いを極力避けてきた自分が、人から頼られることで少しずつ責任感が芽生えてきました。
そして、はじめて頼られる喜びを感じたせいか、「なんとかしてあげたい」と徐々に自分の意見を発信しようと努力しはじめるようになりました。
そんな縁もあって、その女性と結婚することになり、娘3人の子宝にも恵まれました。 この事で新たに頑張れる目標ができて、自分自身とてもうれしく、また自信にもつながりました。
家の中も賑やかになり、決して裕福ではありませんでしたが「小さな幸せ」を感じていました。
そんな時に突然の転勤、その直後に妻が「うつ病」に「なんで!」
そんな中、長女が高校受験を2か月後に控えた年末に関東へ転勤の話がきました。
私自身も「家族とは離れたくない」しかし「子供たちを転校させるのもかわいそうだし」と悩み、家族で相談した結果、娘の受験も控えていることもあり、単身赴任で行く事になりました。
そして、赴任して1ヶ月が過ぎようとする頃、妻から「最近めまいが酷くて、家事をしている最中に倒れてしまった。」と連絡が入りました。
その時は「あまり無理をせず、気を付けて」と伝えましたが、その後もめまいが続くとのことだったので病院で診察してもらったところ「うつ病」との診断結果だったのです。
妻は、かなりショックを受けていました。
私がいない間、まじめな妻は3人の娘を抱えて家の事や学校の事、地域の事や親の面倒など様々なことを一人でこなしてくれていました。
妻が一人で、かなりのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも無理をして頑張ってくれていたんだと思います。
同居するも妻の症状は良くならず、私自身も限界の状態に
それから通院がはじまり様子を見ていましたが、一向に良くなるどころか症状がどんどん重くなってきて眼もうつろになって、寝込む日が増えてきました。
このような状態の妻にこれ以上の負担はかけられないと思い、家族で話し合って翌年の4月からみんなで一緒に関東で暮らすことにしました。
しかし、状況が一気に好転するわけでもなく、むしろ妻は新しい環境に馴染めず、精神的にも肉体的にもボロボロになり、ほとんど布団の中からで出てこれない状態でした。
今までやってくれていた家事も一切できなくなり、私と子供たちは「今こそ、みんなでおかあさんを支えよう!」と分担して行っていくことにしました。
自分が家事をやってみて、妻の苦労が身に染みた「今までごめん」
まじめな妻は「私のせいで家族に迷惑をかけている。私はいない方がいいんじゃないか」などと口にするようになり、時には「生きていること自体が辛い」と言いだしたり、一時は傍を離れられないような緊張状態の時もありました。
私自身も交代勤務をしながら、家事、育児、親の面倒、自治会の役員など何足ものわらじを履いている状態で正直、今自分が「何をしないといけないのか?」の判断もつかないほど限界に近い状態でした。
「苦しいなぁ」「辛いなぁ」「逃げたいなぁ」「いつまでこの苦しみが続くんだろうか」そんなことを毎日、考えて生きていました。
また「こんな大変なこと今まで妻ひとりに押し付けていたとは・・・。」と猛省しました。
うつで苦しむ妻を見て「この現状を絶対に変えたい!」との思いが
それから妻は入退院をくり返すようになり、家族の生活環境も変わってしまいました。
その頃から妻の顔から笑顔が消えていきました。
子供思いの妻は「娘たちの大事な運動会や参観日、進路相談にものってやれない。本当に申し訳ない。」と落ち込む一方でした。
その言葉を聞いた私は「一生懸命まじめに生きてる妻が、なんで心が病んで苦しまなければいけないんだ!」「この現状を絶対に変えたい!」との思いが自分の心の中に芽生えてきているのを感じていました。
はじめてのカウンセリングとの出会いで「助けてほしい!」と言えた
それからは、妻が通院している精神科にも同行し、主治医の問診やはじめてカウンセラーのカウンセリングを一緒に受けて、今の妻の状態はもちろんのこと、それを限界に近い状態で支えている私や子供たちの思いをためらいもありましたが「助けてほしい!」との一心でカウンセラーさんに訴えました。
するとそのカウンセラーさんは、私たちの訴えを笑顔で全て受け止めてくれました。
その瞬間、現状はまだ何も変わっていませんが、背負っていたものが軽くなったような気がしました。
「助けて!」って言っていいんだ。
勇気を出して「助けて!」って言って本当によかったって心の底から思えました。
カウンセリングで「一筋の光」が見えてきた瞬間がそこにあった
それから「心のしくみ」や「自分の考え方」や「行動」そして「自分が育ってきた環境」からの影響など「心理学や心理療法」を学んで行く中で「心が病む原因」やそれに対する「対処法」があることを知りました。
そして、それらの療法を実践していく中で「人は誰でも、何歳からでも変われるんだ!」ということがわかりました。
ということは、永年自分のコンプレックスであった「内気でモジモジした性格」「他人軸」で生きづらさを感じていた自分も変えていけるんだ!とそれはまさに「一筋の光が見えてきた瞬間」でもありました。
「人は誰でも、何歳からでも変われるんだ!」と確信できた!
悩みを抱えながらも、目的をもって心理療法を学ぶ中で「決意すれば行動が変わり、行動が変われば景色が変わる!景色が変われば自信が生まれ、それが確信に変わる!」実践していくなかで自分の心にも変化が現われてきました。
今まで人の目が気になり自分の意見すら言えなかった私が「言っていいんだ」って思えるように変わり、実践していくなかで自信が生まれて、憂鬱だった職場も「楽しい成長の場」に変わっていきました。
自分自身が楽しんで妻と対話しているので「人は誰でも、何歳からでも変われるんだ!」という気持ちが妻にも伝わったのか、少しずつですが回復に向かい主治医とも相談しながら、家に引きこもり布団から出てこれなかった妻が、昨年からなんと近所のパン屋さんでパートで働けるようになるまでに変わりました。
ここまで実に16年かかりましたが確実に前進しています!
「心理療法」ってすごい! 本当に変われるんだ!
ここ数年、職場での人間関係やいじめなどがきっかけで「こころの病」で職場を去っていく方が増えてきました。
そういった光景を今までの私だったら見過ごしていたであろう事でも、今では横柄な上司やいじめを目にしたら必ず一歩も退かず、自分の意見をハッキリ伝え、状況を変えています。
ここまで自分が変われるなんて夢にも思っていませんでした。
心理療法って本当にすごいです!
まじめに一生懸命に生きている人は、絶対にしあわせになってほしい
世の中には様々なことで悩んだり、落ち込んだり、時には理不尽な出来事に遭遇して泣き寝入りを強いられることが当たり前のようになっているところがあります。
私は、まじめに一生懸命に生きている人が世の中の理不尽な出来事や行いで傷ついたり、損をしたりしては絶対にいけないと思っています。
「まじめに苦労して頑張っている人は、幸せになる権利がある」と思います。
しかし、現実は決して楽な道のりではありません。
不器用で思うように生きられない。
「私には無理!」って人生を諦めかけている人。
そういう「一生懸命に生きているのに、思うようにいかない!」とお悩みの方のおちからになりたいと思っております。
具体的には「トラウマ」「人間関係」「アダルトチルドレン」「夫婦関係」「子育て(不登校)」でお悩みの方に寄り添ってカウンセリングを提供させて頂いています。
「人は誰でも、何歳からでも変われます!」
「自分が変われば、世界は変わります!」
あなたの「思い通りの人生」が実現しますように全力でサポートさせて頂きます。